馬良 季常

三国志って、取っ付きにくいイメェジがありますよね。
でも実は、どうってコトない話なんですよ(失礼)。

ちょっとでも三国志についてを知りたい、でも本を読むのは面倒くさい、そんな人に、私、馬良からしばしの御説明を許可頂きたく存じまする。

三国志を全く知らない人へ送る、専門用語を一切使わない三国志説明ページ
HOW TO 三国志
その1:そもそも三国志って?
三国志の基礎中の基礎



三国志ってなに?どんな話?一言でお願い。


3つの国のおはなしだから、三国志です。

あまりの説明にめまいがしますが(笑)
とりあえず、そのように理解して下さい。
とりあえずです。とりあえずそのように思っておきましょう。




いつの時代ですか?


卑弥呼がいた時代です。in日本

日本で土器だの占いだのと言っている時代、
中国では紙に字を書き、船を使って戦をしていた訳ですね。




いつの時代ですか?(もっと詳しく)


西暦180〜280年くらいです。百年物語。

ポピュラーな三国時代、と申しますと、
黄巾の乱が起こった
西暦184年から、諸葛孔明が亡くなる西暦234年あたりまでの約50年。
この時代の前後は、いわいる「マニアックな時代」ですので、知らなくても大丈夫かと。




最初から「3つの国の話」?最後まで「3つの国の話」?


いいえ、最初は一国です。しかし、沢山の勢力がありました。

ご説明いたします。こちらの図をご覧下さい。


これは三国志の舞台・中国の地図ですね。
……見えなくてもこれは地図なんです。

この時代の、中国の国の名前は「漢」です。漢字の「漢」。

この大陸全体を「漢帝国」とか
そのもの「漢」などと呼びます。
この「漢」を納めているのが
「漢王室」「漢王朝」と呼ばれる「皇族」です。
代々の「漢皇帝」が納めていたのです。


そして、この「漢」の国‥‥

日本の何十倍とも言える広さですから
ただ一人で統治できる筈がありません。
‥‥ので、いくつかの「漢王朝に忠誠を誓う勢力」が
それぞれの地区を統治しておりました。
(色付けは適当なのであしからず)

このように、勢力は無数にありましたが
あくまで国はひとつ。
漢の国、ひとつです。


‥‥‥この「漢」の国、けっこう長く続いていました。およそ400年です。
徳川幕府がおよそ200年としても、その2倍。凄いですね。

そして国というものは、長く続くと、乱れてきます。
「三国志」がスタートする時代背景は、
「国が長く続きすぎて、なんかもうめちゃくちゃ」な時代だったのです。


それぞれの勢力は、口では
「漢王朝に忠誠、誓ってます!」といいつつ、
好き勝手に自分の領土を広げる戦争をくり返します。

弱い勢力は滅び、強い勢力が残ります。
群雄割拠と申しましょうか。


……そして結果、こんな風に3つが残ったわけですね。


これは物凄い略し方ですが、解釈としてとらえて下さい。


「三国志」とは、この3つの勢力になってからの話ではありません
ここに至るまでの群雄割拠時代の様々なドラマ、
それを全部ひっくるめて、「三国志」の物語と一般では言われております。

「三国志」に登場する、様々な登場人物のサクセスストーリーが、
こんにち沢山の人の感動を呼び、「三国志」は世界中の人々に親しまれています。




じゃあ「三国志」じゃなくって 「三勢力志」 じゃん。


それぞれの勢力のトップが『皇帝』を名乗りました。

当時の中国では、「一つの国に皇帝が一人」が常識でした。 ところが、3つの勢力のトップがそれぞれ「俺が中国の皇帝です。」と宣言をしたのです。
一つの国に皇帝が三人。これはそのまま、中国に3つの国が出来た事を意味します。

諸葛亮先生の「ちょっと豆知識」

この頃には漢皇帝はとっくに地位をはく奪され、事実
『漢王朝』は消滅していたのですが、これは後に話をまわしましょう。





理解できましたでしょうか?
できましたら「その2」へお進み下さい。